会員ページでは、会員の皆様からのご質問を随時お受けしています。内容に応じて、パナ・ケミカルの担当者や各分野の専門家がお答え致します。
先日、成形加工業者のお客様の元へ技術指導にお邪魔した際に、「ABS樹脂ってアクリロニトリル(A)とブタジエン(B)とスチレン(S)の共重合体だよね。でも、無理に共重合させなくてもそれぞれのポリマーをブレンドするなりアロイ化するなりして同じ様なものは作る事は出来ないの?」との御質問を頂きました。
そこで、技術を担当させて頂いています私、本堀がこのご質問にお答え致します。
確かに共重合は反応の制御が難しいため、それぞれの由来するポリマーをブレンドやアロイなどの手法で混ぜ合わせる事で調整できれば楽ですよね。
でも、これは”化学の眼”から見るとかなり難しい話なのです。
良い機会ですので、ABS樹脂という素材についておさらいしながらこの質問に答えていきたいと思います。
ABS樹脂は、スチレ
ン系樹脂の中でも特に耐衝撃性や耐熱性、耐薬品性に優れる非常に便利なプラスチックです。
また流動性が良いために加工しやすく、射出成形、押出成形、ブロー成形など様々な成形法を用いる事が可能です。更に着色や電解メッキなどの二次加工(加飾)も施しやすく、様々な分野で利用されています。
またリサイクルも盛んに行われており、自動車や家電のリサイクルにおいて多くの廃ABS樹脂が排出されています。
質問の内容にもありましたが、ABS樹脂とは、「アクリロニトリル(Acrylonitrile)」、「ブタジエン(Butadiene)」、「スチレン(Styrene)」の3種類のモノマーが結合した「三元共重合体」の事で、それぞれのモノマーの名称の頭文字を繋ぎ合わせて「ABS」としています。
ABS樹脂の優れた物性は、構成する3種類のモノマーの特性に由来しておりまして、アクリロニトリルは機械的強度や耐熱性を、ブタジエンは耐衝撃性を、スチレンは流動性を付与しています。
今、お話ししました様にABS樹脂は3種類のモノマー単位からなるのですが、技術的にはポリスチレンに代表される「スチレン系樹脂」に分類されています。
ポリスチレンは流動性(成形加工性)に優れるものの、機械的強度や耐熱性では劣るため、様々な改質技術が検討されてきました。実はABSも、その改質技術の成果の一つです。
ポリスチレンの耐衝撃性を上げるために、ゴム成分を添加するという手法は古くから行われてきました。
その代表例が、「耐衝撃性ポリスチレン(HIPS)」であり、ゴム成分には「ポリブタジエン」を用い、これにスチレンをグラフト共重合させたものです。
他方、ポリスチレンの機械的強度を上げる手法として用いられたのは、「アクリロニトリル」を共重合するという手法で、「アクリロニトリル―スチレン樹脂(AS樹脂)」は使い捨てライターのガスボンベ部分などに用いられています。
ABS樹脂は、この「ゴム成分を添加する」という手法と、「アクリロニトリルを共重合する」という手法を組み合わせる事で、耐衝撃性や機械的強度、耐熱性の向上に成功し、ポリスチレンの弱点を克服した材料なのです。
特に耐衝撃性(アイゾット衝撃強さ)については、ABS樹脂はポリスチレンの40倍もの大きさを誇り、改質の効果が存分に発揮されています。
このABS樹脂における物性というものは、3種のモノマーの共重合により得られる訳ですが、一口に共重合といいましても、様々な形式が存在します。
モノマーがランダムに配列した「ランダム共重合体」、モノマーが交互に配列した「交互共重合体」、連続するモノマー単位(ブロック)同士が結合した「ブロック共重合体」、あるブロックから別のブロックが枝分かれした「グラフト共重合体」などの形式が挙げられます。
当然、共重合の形式により、物性は大きく変わります。
では、ABS樹脂はどの形式の共重合体なのでしょうか?
実は以前、高分子化学を専攻している大学院生に講義した折にこの質問をしたのですが、意外に多くの学生さんが「ブロック共重合体」であると答えました。
これは間違いです。正解は「グラフト共重合体」なのです。
そこで、ABS樹脂の製造法を見てみましょう。
ABS樹脂の製造法には、大きく分けて、(1)ブレンド法、(2)グラフト法、(3)グラフトブレンド法の3法が存在します。
ブレンド法は、予め共重合しておいたAS樹脂とアクリロニトリル―ブタジエンゴム(NBR)を添加剤存在下で混合する事によりABS樹脂とする方法です。
グラフト法は、ポリブタジエンラテックス(ゴム成分)に、スチレンとアクリロニトリルを加え、グラフト重合させる事でABS樹脂とする方法で、ゴム成分の割合やグラフト率(=枝分かれの割合)などにより物性が大きく変化します。
グラフトブレンド法は、ブタジエンの比率がかなり高いラテックス状のABS樹脂をグラフト法で作り、これにラテックス状のAS樹脂を混合する方法です。
製造法の詳細は割愛しますが、グラフト化によりABS樹脂を構成する3成分が巧みに結合される事で、それぞれの有する特性が発現されるという事になります。
逆に、グラフト化を行わず、単にポリブタジエンとAS樹脂を混ぜたとしても、この混合物は脆く、機械的強度も低くて、とても使い物にはなりません。
この違いは、一体何なのでしょう?そこで、ABS樹脂のミクロ構造を見てみましょう。
ABS樹脂をミクロレベルで見てみると、AS樹脂の中に球状のゴム成分が散らばった構造をしています。
ゴム成分は、グラフト化により生成した「ポリブタジエンゴム(BR)」、「スチレンーブタジエンゴム(SBR)」、「アクリロニトリルーブタジエンゴム(NBR)」などが混ざった状態となっています。
まるでAS樹脂の「海」にゴム成分が「島」の様に浮いています。この様な構造を、「海島構造」と言います。
ミクロレベルでは、AS樹脂とゴム成分は分子レベルで混じり合わず、2つの相に分離しているのです(二相不均一系)。
しかも、島の部分のゴム成分の内部にも海の部分と同じAS樹脂が入り込んでいます。特にこの様な構造を「サラミ構造」と呼んでいます。
このサラミ構造こそが、ABS樹脂の耐衝撃性や耐熱性の理由なのです。
AS樹脂中にゴム成分が均一に分布する事で、どの方向から外力が与えられたとしても、ゴム成分がひずみ(力学的なエネルギー)を吸収する事が可能となります。
また、ゴム成分にAS樹脂が入り込んでいる事は、AS樹脂中にゴム成分を固定する“アンカー”の役割をしており、ゴム成分の分散状態を維持し、加熱時における安定性をも担保しています。
このサラミ構造は、グラフト化によって達成される構造であり、ABS樹脂の優れた物性を発現する源泉であると言えます。
ABS樹脂は物性面で優れるのみならず、製造コストも安いという実に有難いプラスチックなのですが、一つだけ問題があります。
「耐候性」に乏しいのです。
これは、ABS樹脂の分子内のブタジエンユニット(Bの部分)に残存する二重結合が、空気中の酸素や太陽光に含まれる紫外線の影響による酸化や架橋などの反応を受けやすいためです。
そこで、ABS分子内のブタジエンユニットについて、二重結合を含まない他のゴム成分に置き換える事が行われています。
例えば、「塩素化ポリエチレン」や、「エチレン―酢酸ビニル共重合体」などのゴム成分が挙げられます。
この様なABS樹脂のゴム成分を代替した樹脂の事を「AXB樹脂」と言います。
ここまでお話しさせて頂きました様に、ABS樹脂はミクロレベルで構造が制御された素材であり、この制御構造は共重合体、それもグラフト共重合体であるが故に構築されているのです。
従って、ご質問の様に単にポリアクリロニトリル(A)とポリブタジエン(B)とポリスチレン(S)を混ぜてもこの様なミクロレベルで制御された構造は得られず、ABS樹脂の持つ優れた物性を発現する事は出来ないのです。
Comments